いつも私たちの活動に応援やご協力をいただきありがとうございます。
本日は、先日の記者会見の際にお寄せくださいました徳島大学脳神経内科の和泉唯信教授のメッセージをご紹介させていただきます。
和泉先生は長年ALS診療に携わられる中、新薬「トフェルセン」の早期承認の実現を願われ、本記者会見に際し受けもたれた患者様の事例をお寄せくださいました。
ぜひ皆様にはお目通しのうえ、署名活動の更なる拡散にご協力いただけますよう切にお願い申し上げます。
<和泉先生のメッセージ>
私は長年 ALS 診療を続けてきた地方大学の脳神経内科医です。トフェルセンの早期承認を実現していただきたく、私の関わらせていただいた患者さんの事例を紹介させていただきます。
Aさんと Bさんはいとこ同士で、ほとんど同じ時期に 55 歳で ALS を発症しました。ともに SOD1 遺伝子変異をもつ ALS であることがわかりました。
まもなくトフェルセンの治験が始まりました。
東北地方に在住の Aさんはご家族の協力によって治験を受けることができましたが、関東地方在住でありながら妻に先立たれ一人暮らしの Bさんは受けることができませんでした。
Aさんは症状の進行がとても緩やかになりコロナ禍によって治験が中断になった現在も状態を維持されご健在です。
一方、治験を受けることができなかった Bさんは2年前にお亡くなりました。
同じ遺伝子変異を持つ両人の経過を目の当たりにした私は、トフェルセンはとても有効であるという印象を強く持ちました。
そんな私に本年7月、関西の医師から新しい ALS 患者 Cさんの紹介がありました。
お母さんと弟さんが ALS を発症し約 1 年で死亡されていました。電話で症状を聞き、この患者さんはおそらく SOD1 遺伝子変異による ALS だと直感した私はすぐ入院精査するように強く患者さんにすすめました。その理由は発症からまだ 2か月であることと、トフェルセンの個人輸入が可能になるという情報を得ていたからです。
予想した通り、SOD1変異があることが判明し情報を本人と奥様に説明したところ、やってみたいということで手続きを開始しました。
しかしながら輸入窓口がオープンするのに1月(ひとつき)、外国送金完了までが1月(ひとつき)かかりました。じりじりしながら待ったトフェルセンが到着し Cさんに再会した私は息を飲みました。
2か月前は左脚の一部だった筋力低下が両脚全体におよびさらに両腕も筋力低下が始まっていました。
投与の直前 Cさんは涙をこらえながら「先生、間に合わなかったと思います」とおしゃいました。私は「C さん、大丈夫だから」としか言えませんでした。この 2か月間が Cさんとご家族にとってどんなにつらい時期であったろうかと思うと心が痛みます。
関西に戻られたCさんから間もなく呼吸苦を訴えるメールが届くようになりました。
「やっぱり ALS はキツイです」、そして「最後のメールになります。本当に有難うございました。家族をよろしくお願いいたします」と送ってこられました。
Cさんはご健康なごきょうだいとお子様がおられ、遺伝子異常を持っている可能性のあるその人たちの将来を心配しておられるのです。
C さんは 3 回分を 600 万円以上の自己資金で購入されましたが、1 回しか投与できませんでした。人工呼吸器を装着されご存命ですが、今は瞼をかすかに動かせる程度です。これが 2か月の空白がなく投与できていたらどうなっていただろうと思ってしまいます。
Cさんの奥様からのメールです。
「左脚が動かなくなって、徳島大に通っていた頃、下半身の機能を失うことは覚悟していました。トフェルセンで進行が止まると思っていて、車椅子で一緒に出掛けたり、仕事も続けていけると思っていました。輸入に時間がかかり、何よりも銀行での手続きがあれだけ複雑だとは思いませんでした。また必ず本人が手続きしなければならず、動かない身体で、車椅子での移動は大変でした。早く承認される事を祈るばかりです。」
希少難病 ALS の数%しかいない SOD1 変異による ALS 患者さんは全国でもそれほど多くはなく治験の実施は簡単なものではありません。
治験結果の評価も患者数の多い疾患と同等の基準で承認を審査するのではなく、積極的に条件付き承認を行っていただき、患者さんのみならずご家族のあらゆる負担を少しでも軽くしていただくことを切に願っております。
2023 年 11 月 24 日
徳島大学脳神経内科 教授 和泉 唯信
記者会見の様子はyoutubeでも御覧いただけます。
Comments